T-38's Page
The Period of Thunderbirds
(1974~1982)
1980年3月予定していなかったネリス空軍基地で、偶々レッドフラッグに出くわした私と友人は、柵の外で次から次に降り立つ戦闘機を追いかけていた。別の項でも記述したが、当時サンダーバーズがネリスを本拠地にしている事実さえ知らなかった私にとって、いきなりレッドフラッグ演習の合間にフライト訓練を行う彼らに驚愕した。オグデンのホテルに400㎜レンズを忘れてきた私は、短い200㎜レンズで柵外から彼らをフォーカスするしかなかった。飛行機撮影経験豊かな友人は旅行中300㎜一本勝負で挑んでいたが、彼の方がずっと賢かったのだ。300㎜レンズは、航空機撮影においてはやはり標準レンズとも言える存在だった。
アメリカ空軍でT-38を使用した部隊として最も有名なのは、やはりサンダーバーズであろう。1974年当時アラブの産油国が一斉に原油価格を上げたオイルショック時、それ迄使用してきたF-4Eがあまりに燃費が掛かる事から、燃費の良いT-38に切り替えたが、その運動性能と機動性の良さから1982年まで8年の長い間使用された。サンダーバーズの歴史からすると、ずっと戦闘機を使い続けてきた歴史上、唯一の例外がこのT-38である。T-38時代も本拠地はやはりネリス空軍基地(Nellis AFB)であった。私と友人も1980年3月ネリス空軍基地のフェンスの外で,初めて彼らを目にすることになる。
F-4Eなど戦闘機を使ってきたチームであるので、華奢な機体T-38Aを使用し始めた際はプログラムも大幅に変えたと言われる。機体そのものは金属疲労などの計測装置を装着し、操縦桿は前席のみに省略、胴体背の機内燃料タンクをスモーク用のタンクに切り替えるなどの改装を行っている。また、元々空中給油装置を持っていなかったので、海外ツアーが不可能になってしまい、このチームをヨーロッパ、アジア各地で見ることはできなくなった。それでも足掛け8年の間T-38Aは使われ、約600回の公式展示飛行をこなしているのである。1979年からは ディアル・ソロも復活して演技に色を加えたが、1982年ネリス空軍基地近くの空域で訓練飛行中、4機が同時にインディアン・スプリンクスの山肌に激突して、4名のメンバーを一気に失った。この事故は後にリーダー機の操縦系統に問題が生じた事が起因して、引き起こしが出来なくなり ラインアブレストでリーダーに従って並んでいた3機が道連れとなって、4機一気に激突したことが判明したが、チーム解散まで論議されたショッキングな事件であった。この事件後F-16Aで再デビューする迄、サンダーバーズは開店休業となる。
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